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<title>ケルビーム</title>
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<title>二つの展覧会の告知です</title>
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<description>私が出品している二つの展覧会の告知です。 会期が重なっております。 「作家の視展...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=238,height=300,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://gorugoda.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/09/07/003.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;003&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;003&quot; src=&quot;http://gorugoda.cocolog-nifty.com/kerubimu/images/2009/09/07/003.jpg&quot; width=&quot;100&quot; height=&quot;126&quot; style=&quot;MARGIN: 0px 5px 5px 0px; FLOAT: left&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私が出品している二つの展覧会の告知です。&lt;br /&gt;会期が重なっております。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「作家の視展２００９」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;上野の森美術館&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２００９年９月８日（火）～９月１３日（日）&lt;br /&gt;１０：００am～１７：００pm&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;〒110-0007　東京都台東区上野公園１－２&lt;br /&gt;tel： 03-3833-4191 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;上野の森美術館サイト&lt;br /&gt;&lt;a href=&quot;http://www.ueno-mori.org/special/2009_perspective/index.html&quot;&gt;http://www.ueno-mori.org/special/2009_perspective/index.html&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「ケルビーム展」&lt;br /&gt;２００９年９月７日（月）～１２日（土）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;１１：００am～１９：００pm(最終日１７：００まで）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ギャラリーFUURO (ふうろ) &lt;br /&gt;〒171-0031&lt;br /&gt;東京都豊島区目白3-13-5イトーピア目白カレン1F　　　&lt;br /&gt;Tel＆Fａx　 03-3950-0775&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ギャラリーふうろＨＰ&lt;br /&gt;&lt;a href=&quot;http://www.gallery-fuuro.com/html/info.html&quot;&gt;http://www.gallery-fuuro.com/html/info.html&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>文化・芸術</dc:subject>

<dc:creator>梅崎幸吉</dc:creator>
<dc:date>2009-09-07T02:37:07+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://gorugoda.cocolog-nifty.com/kerubimu/2009/04/post-ef09.html">
<title>上野の森美術館大賞展</title>
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<description>「007-.jpg」をダウンロード 毎年出品している「上野の森美術館大賞展」開催...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://gorugoda.cocolog-nifty.com/kerubimu/files/007-.jpg&quot;&gt;「007-.jpg」をダウンロード&lt;/a&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;毎年出品している「上野の森美術館大賞展」開催のお知らせです。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;上野の森美術館サイト &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=&quot;http://board.nifty.com/ad/bbs_ad_url.cgi?url=http://www.ueno-mori.org/top.html&amp;amp;bbstitle=%B9%F0%C3%CE%B7%C7%BC%A8%C8%C4&amp;amp;design=2&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;http://www.ueno-mori.org/top.html&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;２００９年４月２８日（火）～５月１１日（月） &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今回は前期４月２８日～５月４日の展示です&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>文化・芸術</dc:subject>

<dc:creator>梅崎幸吉</dc:creator>
<dc:date>2009-04-07T04:59:04+09:00</dc:date>
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<title>「春雷」</title>
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<description>「春雷」 　清水由美は応接間に掛かっている六号の絵を見ていると不思議な郷愁に包ま...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;「春雷」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　清水由美は応接間に掛かっている六号の絵を見ていると不思議な郷愁に包まれる。&lt;br /&gt;由美が購入した最初の絵画である。だが、これ以後二度と絵を買うことはないだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　二年前の出来事が昨日のように鮮明に蘇る。&lt;br /&gt;　清水由美の職場は丸の内にあった。二十階建ての銀河ビルの三階にある光洋商事に勤めていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　短大を卒業してすぐに父親の友人が経営している今の会社に入った。&lt;br /&gt;　二年たっても由美は社交的になれなかった。社長が父親の友人ということもあってか表面的には特に何の問題も無い。天気の良い日の昼休みは、歩いても五分の日比谷公園で手作りの弁当を食べた。　噴水のある場所が由美のお気に入りで、そこからは花壇もよく見える。春の色彩豊かな花々と新緑の芽吹きは新鮮な空気と生命力を送ってくれた。　由美はもっと自由な美術に関わる仕事をしたいと思っていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　由美は七歳の時に両親を飛行機事故で失った。実家の九州のお爺さんの葬式に行くはずであった。幸か不幸か、その前日から由美は高熱で寝込んでいた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　由美は父の兄の養女となった。父の兄は真面目で実直な人物であった。兄夫婦には子供がいなかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　両親の突然の死は、当時の由美には実感出来なかった。又、したくもなかった。だが、いつまで待っても両親は由美の所に帰って来ない。由美には死というものがよく分からなかった。逆に言えば生きるということも、何故、何の為に生存するのか？という疑問がその時に漠然と芽生えたのである。&lt;br /&gt;　由美は生活には何の不自由もなかったが、成長するに伴って幼かった頃の疑問も同時に大きくなっていった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　中学になる頃はすでに文学少女であった。本来、内省的であった由美は、ますます自分の内部にこもるようになった。　由美にとって、現実の世界よりも文学の世界の方がはるかに現実的であった。美術の世界も魅力的であった。由美は芸術を通して様々な人生を味わい、自由に生きる事ができた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　養父である孝男は、そんな由美を見ていて心配ではあったがどうする事も出来なかった。孝男自身、生きる意味を考えるゆとりも必要も由美のようには執着出来なかった。由美が独り立ち出来るまでは責任があった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　高校に入る頃には、由美は心理学や哲学に興味が移行していた。　文章や散文詩、気が向けば絵画も自分の好きなように描いていたが、自分の好きなもので生活したいほどの強い要求は見いだせなかった。自分が養女であることの自覚が、思春期特有の情熱に自分を委ねたい、という感情を押さえているのも確かであった。自分と同年代の友人達が恋愛に夢中になっているのを見ても別に羨望も興味もわかない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　由美は友人から見れば変人の部類に属していた。だが、嫌われていたわけではない。むしろ、皆の人生相談や悩みを聞いては的確な助言を与えていた。単に異性に興味が無い、これだけで十代では変人に値する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　短大に入ったのは、ただ早く仕事をして自活をしたかった、それだけである。由美は、高校の頃から本代や映画などの自分の小遣いはアルバイトで稼いでいた。一カ月の本代だけでもばかに出来ない金額だった。　今の会社に入ったのも単に養父を安心させるためである。　由美は自分を決して出さないこと、目立たないこと、これが周りとのバランスを保つ技術であった。演技といえば演技である。しかし、誰もが日常のなかで演技をしている。社会のなかでこの演技が出来ない人間は簡単に自滅する。由美は文学を通しても、現実でもそれを学んだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　由美は、自分自身でもこの何でも相対化するものの考え方が決して好きではない。だが、他にどう考えて良いのか方法が見いだせなかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　会社が早く終わる日は銀座の画廊を見て歩く。週毎に作家が入れ替わる。自分の会社の近くにも、五六軒はあるのだが昼休みの内に見てしまう。しかし、最近は少し遠のきつつあった。どの作家も皆似たようなものに感じられ、刺激がない。現代の文学もそうであった。いや、芸術全般がそうなのかも知れない。由美は見る目だけは肥えていた。最も、これは由美の贅沢な望みであろう。かといって、自分では人の魂を揺さぶるようなものは生み出せそうもない。&lt;br /&gt;　有楽町線の市ケ谷で降りて四谷の方に五分も歩くと由美の住んでいるマンションがある。もうすぐ桜の花が咲く。小さな蕾が細い枝にたくさんついている。外堀公園の土手は散歩に気持ちがいい。　由美が独立したいと言った時、普通のモルタル作りのアパートでいいと言って、養父の孝男と少し対立した。孝男は、女性の独り暮らしがいかにあぶないかを力説した。それで今のマンションに決めた。六畳の広さに台所、それにトイレがついたユニットバス。それでも家賃は八万である。それでも此処らでは安いと不動産屋は言った。家賃の半分は孝男が出している。ありがたいのと窮屈さの両方があった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　養父の孝男が先日もお見合いの話を由美にした。由美が結婚しないと自分の責任を果たしたことにはならないのであろう。由美は結婚には特に興味がなかった。&lt;br /&gt;　さらに言えば、男性と付き合うのもいやであった。由美の友人のなかにはちらほらと結婚する者も出てきた。だが、まだ由美は二十二歳である。孝男にしてみれば、だからこそ悪い虫がつかないうちにとでも考えているのだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　由美は男性に限らず、いわゆる人間不信であった。その意味は由美自身がよく分かっていた。物でも何でも、執着すればすほど自分自身を見失なう。まして、相手が人間であれば尚更である。生成死滅は自然の摂理である。これは両親が由美に残した、唯一身にしみて分かった教訓である。この教訓を覆すような考えや出会いは現実にはまだ無い。これからもあるかどうか、由美は懐疑的であった。&lt;br /&gt;　由美の全身に形容しがたい戦慄がざわざわと駆け巡っている。　その絵の前で由美は立ち尽くしていた。会社の近くにある画廊に昼休みを利用して入ったのだが、会場に入った時から胸の鼓動が高まった。三十坪程の空間がやけに広く感じる。作品も大きくて三十号。他は四号から十号までの作品が多く、油彩画が大半である。デッサンや水彩画は五点である。&lt;br /&gt;　由美の目の前の絵は六号の小品である。題名は「旅芸人の少年」と書かれてある。&lt;br /&gt;　青を背景に少年の半身が描かれている。やや俯いたその顏はすでに深い諦めの表情をしている。特に変わった手法でも無い。柔らかいトーンのどちらかと言えば情感的な作風である。&lt;br /&gt;　由美はこの少年を見て、ピカソの青の時代の作品を思い出した。&lt;br /&gt;　特に「道化師の家族」、「アルルカンの肖像」などが由美の脳裏に鮮明に浮かんだ。名状しがたい感情が由美を襲った。涙が溢れて止まらない。昼休みの時間もあまりない。羞恥の感情もあるのだが押さえきれない熱いものが激しく込み上げてくる。だが、由美はとにかく会社に戻らなければならない。&lt;br /&gt;　職場に戻っても仕事が手に付かない。気が付くと涙が流れている。何度もトイレに行っては気を静める。体のなかが燃えるように熱い。　由美の同僚達も、赤い顔の焦点の定まらない由美を見ていて心配し始めた。由美は体調が悪い事にして早退した。&lt;br /&gt;　由美は自分が、どうやって自分の部屋にたどり着いたのかさえ良く覚えていない。由美の全てが混乱している。現実の感覚さえ覚束ない。由美は着替えもしないでベッドに横たわった。&lt;br /&gt;　翌日も会社に休ませてほしいと連絡を入れた。&lt;br /&gt;　由美は本当に疲れていた。正午過ぎまで眠っていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　夢の中で久しぶりに両親と会った。懐かしかった。由美はまだ子供だった。父と母が由美に手を振って離れて行く。由美は呼んだ、大声で呼んだ、だが両親はどんどん遠退いて闇に消えた・・・&lt;br /&gt;　由美は泣きながら目を覚ました。もう午後の一時近い。まだ夢の余韻が残っている。起きると眩暈がする。空腹感も無い。　&lt;br /&gt;由美はあの絵がどうしても欲しくなった。画廊に電話を入れた。不安であった。もう売れているかも知れない。画廊のオーナーが出た。まだ、売れてはいないが、あの絵に関しては作家が相手によっては売らないという。非売にしたかったらしいが、展示した以上は一応値段は付けたと。オーナーは「この画家は、少し変わっているんですね」と言った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　由美はオーナーに聞いた「それでは、お会いすればいいんですね？」と。ただ、オーナーはあまり期待しないようにと、すでに三人断られていると言う。由美は時計を見た。まだ五時である。画廊は七時までだが、由美の会社が近い。誰と会うか分からない。作家が来るのを確めて、由美はタクシーで画廊の前まで行くことにした。&lt;br /&gt;　画廊に着くと作者はすでに来ていた。由美は、勢いで来たがかなり不安であった。初日からまだ二日しかたっていないのに三人が断られているのである。画廊の事務所の顏を出して先ほど電話した清水ですと言うと、五十歳位のオーナーが頷いて作者に紹介した。&lt;br /&gt;　由美はすっかり勘違いしていた。さっき自分が勝手に会場で作者だと思ったのは単なる絵描きの友人の方であった。青木哲というまだ二十八歳の画家は日焼けして身体もがっちりとしている。どうみても繊細な芸術家には見えない。建築現場で働いていそうな肉体労働者の風貌である。百八十センチはありそうでその手もごつい。このごつい手のどこからあの深い悲しみの情感が描けるのか？&lt;br /&gt;「ああ、話は土井さんに聞いた。ただ、おれは少し口が悪いかもしれないが、気にしないでくれ」&lt;br /&gt;　確かにぶっきらぼうな言い方である。だが、由美にしてもその方が気が楽である。由美はあの絵の値段も少し気になったが、それよりも、まず自分が買えるかどうか、こちらの方が先の問題であった。　他の三人も自分と同じように感じたのであろうか？この画家はなにを基準にして相手を見るのか？目の前で煙草を吸っている青木を由美は真っ直ぐに見た。青木は、自分の方をじっと見ている由美を見て笑いながら言った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「おい、あんた、あれを見に来たんじゃないのか」&lt;br /&gt;　由美はふいに青木に言われたのと、自分の考えを見抜かれた様な気がして顏が赤くなった。&lt;br /&gt;　由美は立ち上がると自分が欲しい絵の前に立った。又、最初の感情が由美を捕えた。全身が震えている。涙が止まらない・・・。　　　画家の青木は由美を気にする風でもなく、自分の友人が来ると、「何だ、てめえ、暗い面してんなあ。もう、絵なんかやめちまえ」&lt;br /&gt;　青木は言いたいことを言っている。言われた方も「おれは、才能ないしなあ」などと言っている。&lt;br /&gt;「・・・でもよう、なんだか」と相手が言おうとすると「何だってんだよ、おい、引き際ってもんが何でもあるんだよ。あと十年もしてみろ、つぶしがきかねえぞ。まだ三十前だろう。やめるんだったら、今しかないぞ」とずけずけと言っている。相手はうなだれて「じゃあ、またな」と青木の絵も見ずに帰ってしまった。由美は、二人の会話を聞いているうちに少し冷静さを取り戻した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「さっきの方も絵を描かれているんですか？青木さんの絵も見ないで帰られたけど」&lt;br /&gt;「ああ、あんなもんだ。自分の事で疲れてね、だからおれはいつもはっきり言う。ああいうやつはパンを焼いたり靴でも作っていた方がいいってね」　　&lt;br /&gt;　由美は青木は吐き捨てるように言っているが、何か妙に胸を打つものを感じた。&lt;br /&gt;「そういえば、あんたも疲れてんのか。なんか変だぞ」&lt;br /&gt;　由美は、とっさに何と答えたらいいか言葉に詰まった。それで、&lt;br /&gt;「私は、青木さんの絵を見て、ピカソの青の時代の絵がたくさん浮かんだの。何か、こう胸が締め付けられるような、深い諦めのような、・・・言葉って難しいわね。うまく言えないわ」&lt;br /&gt;「ふうん、青の時代か。そうか、おれの絵はまだ暗いのか。最もこのおれは、まだガキだからな。ふむ・・・」&lt;br /&gt;　青木は煙草を吹かしながら、自分の絵を睨みつけるように見ている。由美が気に入った自分の絵の前に行くと青木は腕組みをして怖い眼差しでじっと見つめている。&lt;br /&gt;「ああ、もう時間だ。おい、もし用が無ければ、飯でも食いに行くか？」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　由美は絵の件はどうなっているのか、と思ったがこの青木という人物にも興味がでてきていた。&lt;br /&gt;　青木が連れていったのは二十階にあるレストランであった。&lt;br /&gt;「おれは、高いところが好きでね。いや、食い物は安いほうがいいんだが。ここから見ると、本当に下には人間がちっぽけでひしめいているのがうそみたいだよなあ。・・・全くいやになるよ」&lt;br /&gt;　由美は青木の話を聞いていると、時々自分自身と話しているのか、目の前の現実の人物と話をしているのか、単に独り言なのか判断がつきにくい。理由は、今まで誰も由美が納得するように答える事の出来なかった質問を青木に投げ掛けた。「青木さん、質問があるんですが、これは私も随分考えてどうしても分からないことで、青木さんならものごとをはっきりおっしゃる方だからいうんですけど」&lt;br /&gt;「そんな、前置きはいいから、ずばり言ったら」「はい、人間は何のために、いや人間て一体何ですか？」　由美の真剣な顔付きを見て、青木は頭を掻きながら言った。&lt;br /&gt;「そうだな、おれは、人間はまだ真の人間になっているとは思っていない。説明はやっかいだが、この、おれから見て形は似ているがほとんどが人間じゃ無い。最も豚や猿という言い方で言ば、確かにおれは豚ではない。一応見た目は人間と呼ばざるを得ない姿をしている、だが一切を元素に置き換えたら、一体誰が実体を判断出来るか、この一点に全てはある。分かるか」&lt;br /&gt;　青木は由美を見ないで宙に向かって言っていた。由美の思考が一気に活動を開始した。青木は夜景を見ながらビールを飲んでいる。&lt;br /&gt;「それは、自然科学の法則原理では、この世界は法則の抽象的関係でしか成立し得ない、つまり人間を含めその原理の関係から出ることは出来ない。その関係自体は意味も無意味も無い、そういうことですか？」&lt;br /&gt;「随分と抽象的で回りくどい言い方だな。まあ、あんたの言っている視点に限ればそうだ。特に今はその相対的な考えが流行りだな。どんなものも屁理屈になる。まあ、個人にとっては便利な考えだよ。だが、そんなものは芸術にとっては自明のことだ。科学に半端にかぶれた連中がくだらんものをごちゃまぜにした。今、知的錯乱がまともだと信じて疑う事も無い。やだねえ、おめでたい奴が多すぎて。これは、あんたの質問の答えになっていないな」&lt;br /&gt;　由美は少し混乱した。青木の考えでは自分もおめでたい人間のひとりである。青木の思考の回転は速い。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「あんた、少しは悩んだんだろうけど、普通の生活をしているんだろう。そのうち、疲れるよ。ピカソの青の時代の事をあんたは言っていたけど、あの状態になったらおかしくなるよ。無論、あれは暗くも明るくもない。ただ、ピカソが自分の無能さにじたばたしていただけだ。あのゴッホもそうだ、ゴーギャンも、詩人のランボーも、あの時代の連中はそのなかでほとんど倒れた。今の自称芸術家とほざいている連中はそれを食いぶちにしてるって訳だ。今のあんたがもう少し進むと似たような状態になる。抽象表現はその中和剤にすぎない。奴等は東洋的思想や禅の世界に助けを求めたのさ。最も、あんたの生き方におれがどうこう言う事じゃないが・・・」&lt;br /&gt;　青木は由美の目を見た。だが、すぐにそらしてビールを一息であおった。由美は自分が同情されているのか、責められているのか、或いは、叱咤されているのか判然としなかった。&lt;br /&gt;「それで、青木さん、あの絵は私に売ってくださるんですか？」&lt;br /&gt;　青木は夜景を見ていた。由美の目を見ずに頭を掻きながら言った。&lt;br /&gt;「別に、焦らすわけじゃないが、最終日に連絡するよ」&lt;br /&gt;「それと、これも聞きたかったんだすが、何故、あの絵だけは売りたくないんですか？」&lt;br /&gt;　青木は由美を見つめて腕組みをした。由美の心の奥まで見抜くような恐い眼光である。青木の話は知性に裏付けされた迫力もあり、論戦すれば由美など赤子の手をひねるようなものであろう。それに青木のような人物がものに執着するタイプにはどうしても見えない。&lt;br /&gt;もし、非売にしたければ展示しなければよいのである。&lt;br /&gt;「いや、決して売りたくないんじゃない。そうだよな、だったら何故見せたってことになるよな。単に我儘っても、あんたには通じないな。画廊の土井という人から三人断ったと聞いたんだろう。あんたは、このおれのことをかなり誤解しているようだな。今日はおれもやや理屈っぽいが、このおれの言うことをそのまま聞いてくれ。おれの欲望、野心、全てに対する執着、これは人後に落ちない。おれは自己愛を肯定する。どう、今のを聞いて矛盾を感じるだろう。この、おれから見たら誰も真剣に自分を愛してはいない。本当は簡単に愛という言葉は使うのは嫌いなんだが、自己を突き詰めると他人との境界が無くなる。言わば、親和力を獲得する。さっき言った関係の実体を体験するんだよ。無論、それだけでは駄目だ。これは単にスタート点にすぎない。あんたがさっき言った相対性の円のなかから抜けることが出来ない。俗に象徴派と言われている連中がそうだ。あんたは文学に詳しいんだろう。そういう顏をしている。まあ、簡単にいうと子供の親離れ、これが近代の悲喜劇だよ。そして当然、抽象表現に至る。個人が個人では無くなる。だが、いやでも個人は存在する。あんたはあんたでしか在りえない。他人を私とは言わんだろう。あんたが感動するのはそこだ。まるい円を壊した者のもがき、苦悩、孤独だよ。すでにあんたが壊していれば共感しか感じない。あんたの設問自体がすでに間違っている。それが、おれが最初に言った人間はまだ人間では無いということだ。ものごとを考えるというのは自分の前提を見極めてでないと堂々めぐりを繰返す。これは実に悲惨なことだ。今日でもそれは繰返されている。こんな話を一体、誰が聞く。前の三人は頭がこんがらがっていたよ。こんな理屈を聞かされたら、いやんなるよな。これはおれの我儘だ。売れればいいって問題じゃない。あの画廊だって一週間いくらで借りている。だから、おれのわがままも通るってわけだ。もう、疲れただろう。この話はやめよう。まあ、あんたもがんばんなよ。それにまだ、人間もまんざら捨てたもんじゃない」&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　由美は残業が七時過ぎる日が続いた。昼休みに青木の絵を見に行った。赤丸はついていない。今の所、誰も買えないらしい。丸の内はオフィス街なので土曜日が最終日であった。&lt;br /&gt;　青木も仕事が忙しいらしく二日に一度、それも七時ぎりぎりに顏を出す程度と聞いた。&lt;br /&gt;　由美にとって最終日は審判の日である。不安で足が向かない。電話も手には取るのだが、すぐに受話器を戻す。留守電にして散歩に出た。曇っていたが春の風が心地よい。&lt;br /&gt;　遠くで雷の音がした。雨が降るかもしれない。まだ三時である。&lt;br /&gt;　由美は四ツ谷駅の近くの喫茶店に入った。確か、最終日は五時までだ。由美は一人で時間をつぶすのは慣れている。さっきから胸の鼓動が早い。恐らく、自分には売ってくれないだろう、とその不安が心臓のリズムを早めている。この胸騒ぎもきっとそうに違いない、と由美はおもった。&lt;br /&gt;　一時間程で喫茶店を出た。雨はふってはいない。曇っているせいかもう夕方のようである。今度は近くで雷が鳴った。由美は急ぎ足で歩いた。&lt;br /&gt;　自分の部屋に戻ったが留守電には何も入っていない。&lt;br /&gt;　由美は何も考えまいとした。身体も何となくだるい。少し休もうとベッドに潜り込んだ。寒けもする。風邪でもひきかけているのかもしれない。由美は落ちるように眠った。&lt;br /&gt;　由美が目を覚ますと八時になっていた。外は暗い。すっかり眠ってしまったらしい。暗い部屋のなかで留守電のランプが点滅している。由美は、部屋の灯を点けると大きく深呼吸をして留守電を聞いた。&lt;br /&gt;　画廊のオーナーの土井からだった。青木の絵を預かっているから、月曜にでも取りに来て下さい。内容はそれだけだった。由美はほっとした。月曜が待ちどおしかった。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　由美は、会社の昼休みに食事もしないで画廊に行った。&lt;br /&gt;　違う画家の個展の会場になっていた。画廊の事務所に入ると、土井がいた。&lt;br /&gt;　土井は由美に作品を渡すと「才能があったのになあ」と言った。由美には何のことか分からなかった。由美が代金の事を聞くと、今度は土井が怪訝な顏をした。&lt;br /&gt;　土井は青木は最終日も仕事で五時までは行きます、と連絡はあったがちょうど三時頃建築現場の八階から落ちて死んだ、と友人から連絡があった、と言った。この絵は清水さんが買ったから会期が済んだら渡してくれと、青木に頼まれていたと土井は言った。&lt;br /&gt;　由美は信じられなかった。あの春雷のなった時に青木は死んだのだ。あれは青木の死の知らせだった。由美はこれは夢を見ているのだ、と思いたかった。&lt;br /&gt;　由美が、青木の作品を抱いて画廊を出ると雲も無いのに遠くで春雷が鳴った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　了&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>文学　詩　小説</dc:subject>

<dc:creator>梅崎幸吉</dc:creator>
<dc:date>2009-03-28T16:10:05+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://gorugoda.cocolog-nifty.com/kerubimu/2009/03/post-8380.html">
<title>彼岸花ー今日の悲劇の象徴小説</title>
<link>http://gorugoda.cocolog-nifty.com/kerubimu/2009/03/post-8380.html</link>
<description>今日の相対的世界観、実体無き無常観を体現して生きる魂・主人公の悲劇劇の物語。 小...</description>
<content:encoded>&lt;strong&gt;今日の相対的世界観、実体無き無常観を体現して生きる魂・主人公の悲劇劇の物語。




小説内容の一部抜粋


「彼岸花」

http://syosetu.com/pc/main.php?m=w1-4&amp;ncode=N4938G 


　ケンは自分の何かが、それが精神か肉体か何であるかよく分からないが自分自身に何らかの異変がおこりつつあることを直感的に感じていた。 頭痛による不眠は食欲を減退させ神経を過敏にさせた。それでもケンは強引に自分の胃袋に餌を与えるように喰った。肉体に関しては自信があったし常に鍛えてもいた。

　ケンにとって肉体の衰えは弱肉強食の世界にあっては死を意味する。少なくともこの現実の世界に肉体をもって生存したければ強靱な肉体を保持しなければならぬ。自力で何も勝ち取れなくなるような無様な生き方はケンの望むところではない。仮に自分が自分の望まない存在と化したら死を選ぶ。ケンの考えは単純であった。

　人間も獸もケンにとっては同次元のものである。むしろ屁理屈や自己正当化の観念を持たぬ獸の方がケンにとっては親近感さえ感じる。ケンは自分が何故人間の形で存在するのか不明であり不快ですらあった。さらに言えば不快と思うことすら不快であった。ケンに言わせればたまたま似たような姿形をしているだけで仲間だとか同胞だとか、あるいは人類はどうのこうのと言ったあらゆるたわ言には一切興味がなかった。ケンの知る限りでは誰もかれもが自己保存と正当化の為の戯れ言をまことしやかに自己弁護しているようにしか聞こえなかった。

　 通常悟性の限界ともいえる透徹した相対的意識自体が、ケンにはすでに天性のものとして感覚的に具わっていた。そのケンにとっては俗によく言う人間の不条理などという歪んだ被害妄想的観念など存在しない。 ケンを前にしては、いかなる崇高な思想も宗教も弱肉強食の一現象にすぎない。 ケンのような存在は、間違いなく人間社会にとっては無価値の害虫的存在であり、その害虫のケンから見ればいわゆる社会そのものが存在していない。あるのは、ただ生き残るための戦いの敵対関係の種々な存在のみである。戦いには武器がいる。又、その武器を使いこなすためには技術がいる。言わば生存の条件自体が全て戦いであり武器でもある。すこぶる単純な原理である。
　この単純な原理が正常に作動している場合にはなにも問題はない。だが、この原理自体に異常が生じたら事は面倒になる。 ケンの原理とするものの考え方は唯物論の視点から見れば何も問題はない。いわゆる死は全てを消しさる。対象となる存在とそれを知覚する存在の消滅によって意識自体が無と化せばそこには自己も世界も無い。これは考えることもないほど明白なことである。 単純な原理とは言い換えれば因果関係が鮮明で明確な合理性を基盤としてしか成立しないと云うことにある。不明なものは不明。分かることは分かる。曖昧は曖昧と。その厳密さの度合いがあるのみで他は全て個人による憶測の空想的主観にすぎない。

　極論すれば唯物論的人間とは物神思想であり、自然界に生息する生きた機械であるという結論に至る。この不気味な存在ともいえる結果を悟性は容認しても感情は容認しない。この奇妙な内的矛盾が個人のあらゆる悲喜劇を生み出す。又、自他をも含めた内外の戦いの要因ともなる。人類史そのものがそれらの戦いの現象の記録にすぎない。 たとえ時代や環境が変わってもこの原理そのものが変化しない限りは方法や名称が変化してもその内実が変わることはない。 その意味では、黒沼剱は科学万能の物神信仰が生み出した時代の落とし子の代表的存在ともいえる。&lt;/strong&gt;</content:encoded>


<dc:subject>文学　詩　小説</dc:subject>

<dc:creator>梅崎幸吉</dc:creator>
<dc:date>2009-03-26T18:12:46+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://gorugoda.cocolog-nifty.com/kerubimu/2008/09/post-4997.html">
<title>表現雑感</title>
<link>http://gorugoda.cocolog-nifty.com/kerubimu/2008/09/post-4997.html</link>
<description>「表現雑感」 　我々人間存在の生存の根拠を問うということとあらゆる表現活動は密接...</description>
<content:encoded>&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-SIZE: 12pt; FONT-FAMILY: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;,&amp;quot;serif&amp;quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin&quot;&gt;「表現雑感」&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;FONT-SIZE: 12pt&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;FONT-SIZE: 12pt&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-SIZE: 12pt; FONT-FAMILY: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;,&amp;quot;serif&amp;quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin&quot;&gt;　我々人間存在の生存の根拠を問うということとあらゆる表現活動は密接に連動相関関係がある。だが、この根拠の問い自体が今日に於いては唯物観的観点から捉えられて浅薄な世界観と化し、猛威をふるっている。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;FONT-SIZE: 12pt&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-SIZE: 12pt; FONT-FAMILY: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;,&amp;quot;serif&amp;quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin&quot;&gt;　相対的思考によって導き出された生存の問いの結論、「無意味こそが意味」であるという五感覚的知覚・物質界の法則のみが真理であるとする思考形式に対する妄信。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;FONT-SIZE: 12pt&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-SIZE: 12pt; FONT-FAMILY: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;,&amp;quot;serif&amp;quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin&quot;&gt;　所謂物神信仰は今日我々の魂に伝染病の如く蔓延していて、そのことに無自覚どころか本来人間にのみ普遍的恩寵として具わっているという「思考」を我々の個々人の特産物であるかのように思い込み、さらには物質と同質とみなし、その思考による考察こそが唯一の考える中心であり基盤であるとして居座っているのだ。これは由々しき問題であるにも関わらず依然として「思考そのもの」を軽んじている。我々の認識行為は思考を用いなければ如何なる行為も為し得ない。こんな単純な事すら未だ認知され得ないということは驚嘆すべき事実なのであるが、これも又相対的思考によって実体なき思考内容に相対化され得る。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;FONT-SIZE: 12pt&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-SIZE: 12pt; FONT-FAMILY: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;,&amp;quot;serif&amp;quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin&quot;&gt;　われわれの表現活動とて思考を用いなければ如何なる表現も為し得ない。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;FONT-SIZE: 12pt&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-SIZE: 12pt; FONT-FAMILY: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;,&amp;quot;serif&amp;quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin&quot;&gt;　我々の行為自体は意志による。意志なき行為などあり得ぬ。また意志には動機が不可分である。動機なき意志など行為へとはなり得ない。此処で問題となるのはその行為の動機となった根拠、動機の根拠内容が問われる。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;FONT-SIZE: 12pt&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-SIZE: 12pt; FONT-FAMILY: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;,&amp;quot;serif&amp;quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin&quot;&gt;　つまり根拠の根拠となった要因、この考察である。ここで殆どの個人の思考は混乱する。根拠の根拠を問うことは通常の無意識的な意識状態の考察でもあるからだ。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;FONT-SIZE: 12pt&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-SIZE: 12pt; FONT-FAMILY: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;,&amp;quot;serif&amp;quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin&quot;&gt;　我々は簡単に理解しがたい事柄や難しい問題にぶつかると本能という便利な概念を用いる。ここで動物や生物と同じ次元へと考察の対象が移行する。物質的、数量化し得ぬものは考察の対象にはなり得ない、というのが理由なのである。不可視なるものは個々人の主観にすぎぬというわけだ。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;FONT-SIZE: 12pt&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-SIZE: 12pt; FONT-FAMILY: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;,&amp;quot;serif&amp;quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin&quot;&gt;　此処の地点は相対的イタチごっこの様相を呈する。考察する個人が知覚・体験感受した者に準じて主観的であると。万人に証明出来ぬものは如何なるものも主観に属すると。我々は何人も生成死滅の原理から逃れ出ることは出来ぬ、というのが根拠であると。これが実体無き浅薄な無常観なのである。これ以上の考察は我々の能力を超えている、と。これと似たような考察反論は満ち溢れている。ゆえに表現が新たなる地平で生じざるを得ぬ。ただ此処の地点を自覚した存在は個人として厳しい人生を歩むことになる。これも自明のことである。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;FONT-SIZE: 12pt&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-SIZE: 12pt; FONT-FAMILY: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;,&amp;quot;serif&amp;quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin&quot;&gt;　この通常とは異なる意識状態を表現する事は新たに困難を生み出すことにもなる。文学的に謂えば異形者として生きなければならぬ。生き抜くには如何にこの意識状態を日常的に溶かし込むか、日常化するかの一点に存する。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;FONT-SIZE: 12pt&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-SIZE: 12pt; FONT-FAMILY: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;,&amp;quot;serif&amp;quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin&quot;&gt;　&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;FONT-SIZE: 12pt&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>文化・芸術</dc:subject>

<dc:creator>梅崎幸吉</dc:creator>
<dc:date>2008-09-25T17:30:35+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://gorugoda.cocolog-nifty.com/kerubimu/2007/03/post_e15a.html">
<title>人人展開催中</title>
<link>http://gorugoda.cocolog-nifty.com/kerubimu/2007/03/post_e15a.html</link>
<description>今、都美術館にて『人人展』開催中。 ３月２４日が最終日である。 １００号の作品２...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;今、都美術館にて『人人展』開催中。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;３月２４日が最終日である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;１００号の作品２点と変形の１２０号位の作品３点出品。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私を支持していた人物が３月３日に亡くなったとの事。&lt;br /&gt;
享年５８歳と聞いた。&lt;br /&gt;
残念である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>梅崎幸吉</dc:creator>
<dc:date>2007-03-21T01:29:49+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://gorugoda.cocolog-nifty.com/kerubimu/2006/11/post_ff0a.html">
<title>『鬼神ライブ』渋谷アピアにて</title>
<link>http://gorugoda.cocolog-nifty.com/kerubimu/2006/11/post_ff0a.html</link>
<description>『鬼神ライブ』 夜闇に炸裂する魂の詩文・肉声と楽音精神の即興ライブ 出演 朗読　...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;『鬼神ライブ』&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;夜闇に炸裂する魂の詩文・肉声と楽音精神の即興ライブ &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;出演 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;朗読　　　　　　　梅崎幸吉 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ドラム　　　　　　石塚俊明 &lt;br /&gt;パーッカッション&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;フルート　　　　　カリマタミチオ　 &lt;br /&gt;ソプラノサックス&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２００６年１１月１５日（水） &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;時間　２２：００ &lt;br /&gt;料金　￥２０００　＋　ドリンク代 &lt;br /&gt;場所　渋谷APIA &lt;br /&gt;　　　　東京都渋谷区桜丘町3-15　 &lt;br /&gt;　　　　TEL03-3464-9590 FAX 03-3464-3070 &lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>音楽</dc:subject>

<dc:creator>梅崎幸吉</dc:creator>
<dc:date>2006-11-13T10:10:52+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://gorugoda.cocolog-nifty.com/kerubimu/2006/10/post_de41.html">
<title>ペンギンハウス『三社』ライブ</title>
<link>http://gorugoda.cocolog-nifty.com/kerubimu/2006/10/post_de41.html</link>
<description>昨夜は高円寺にあるペンギンハウスへと。 「三社」メンバー 三上　寛(vo,eg)...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;昨夜は高円寺にあるペンギンハウスへと。 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「三社」メンバー &lt;br /&gt;三上　寛(vo,eg)＋石塚俊明(dr)＋浦邊雅祥(alto sax,etc) &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「ペンギンハウス」サイト &lt;br /&gt;&lt;a href=&quot;http://www3.plala.or.jp/FREEDOM/penguin/home/home.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;http://www3.plala.or.jp/FREEDOM/penguin/home/home.html&lt;/a&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;最前列の真横の席に座る。 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ライブ終了後、寛ちゃんを取りに来たイタリア人写真家パウロを紹介され、皆で飲食歓談。 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;パウロが恵比寿に英米人が殆んどの客が集まるパブにて月一朗読を開催しているという。 &lt;br /&gt;一度は顔を出そうと思っている。 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;寛ちゃんは友川氏と今月二週間欧州へと公演ツアーである。 &lt;br /&gt;昨夜は高円寺にあるペンギンハウスへと。 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「三社」メンバー &lt;br /&gt;三上　寛(vo,eg)＋石塚俊明(dr)＋浦邊雅祥(alto sax,etc) &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「ペンギンハウス」サイト &lt;br /&gt;&lt;a href=&quot;http://www3.plala.or.jp/FREEDOM/penguin/home/home.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;http://www3.plala.or.jp/FREEDOM/penguin/home/home.html&lt;/a&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;最前列の真横の席に座る。 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ライブ終了後、寛ちゃんを取りに来たイタリア人写真家パウロを紹介され、皆で飲食歓談。 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;パウロが恵比寿に英米人が殆んどの客が集まるパブにて月一朗読を開催しているという。 &lt;br /&gt;一度は顔を出そうと思っている。 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;寛ちゃんは友川氏と今月二週間欧州へと公演ツアーである。 &lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>音楽</dc:subject>

<dc:creator>梅崎幸吉</dc:creator>
<dc:date>2006-10-20T17:19:38+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://gorugoda.cocolog-nifty.com/kerubimu/2006/10/post_4d4c.html">
<title>渋谷アピアでにて、死と再生ライブ</title>
<link>http://gorugoda.cocolog-nifty.com/kerubimu/2006/10/post_4d4c.html</link>
<description>昨夜『渋谷アピア』にてのライブは総合芸術の本道とも言うべき『死と再生、復活』の世...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;昨夜『渋谷アピア』にてのライブは総合芸術の本道とも言うべき『死と再生、復活』の世界であった。 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;舞台照明、音楽、舞踏が総合プロデュースの伊東哲男氏の卓越した見事な手腕によって構成され、人類史の歩みが劇的かつ厳粛な世界として顕されたのである。 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;古典的手法を骨格にし、個人と人類史を重ね合わせつつ古今より探求され続けられている『生存の問い』が観客に突きつけられた。 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;このライブの内容に関しては後日ゆっくりと書きたいと思う。 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;舞踏家のサイトウカオリの限界、極限と未来への萌芽を含めつつの一時間半は当人は元より我々観客の魂に鮮烈な印象を刻印した。 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ビデオを撮っていたヘビースモーカーの私が喫煙する事すら出来なかったのである。 &lt;br /&gt;通常は、９０分のライブの長さであれば、固定にして一服するゆとりはある。 &lt;br /&gt;それを赦さなかった程の憎らしい伊東哲男氏に惜しみない賛辞を送りたい。&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>梅崎幸吉</dc:creator>
<dc:date>2006-10-20T17:08:31+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://gorugoda.cocolog-nifty.com/kerubimu/2006/10/post_c315.html">
<title>『鬼神ライブ』音や金時</title>
<link>http://gorugoda.cocolog-nifty.com/kerubimu/2006/10/post_c315.html</link>
<description>『鬼神ライブ』音や金時 『鬼神ライブ』　 夜闇に炸裂する魂の詩文・肉声と楽音精神...</description>
<content:encoded>&lt;h3&gt;『鬼神ライブ』音や金時&lt;/h3&gt;

&lt;div class=&quot;entry-body-top&quot;&gt;&lt;/div&gt;

&lt;div class=&quot;entry-body&quot;&gt;&lt;div class=&quot;entry-body-text&quot;&gt;&lt;p&gt;『鬼神ライブ』　 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;夜闇に炸裂する魂の詩文・肉声と楽音精神の即興ライブ &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 &lt;br /&gt;朗読　　　梅崎幸吉 　 &lt;br /&gt;ドラムス　石塚俊明　 &lt;br /&gt;フルート・ソプラノサックス　狩俣道夫&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;２００6年10月22日（日） &lt;br /&gt;　　 &lt;br /&gt;場所　　音や金時 &lt;br /&gt;時間　　１９：３０start 　18:30open &lt;br /&gt;チャージ　　２１００円＋飲食代 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;音や金時　　TEL　０３－５３８２－２０２０ &lt;br /&gt;杉並区西荻北２－２－１４　喜志コーポB1 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;音や金時HPアドレス &lt;br /&gt;&lt;a href=&quot;http://www2.u-netsurf.ne.jp/~otokin/index.html&quot; target=&quot;_top&quot;&gt;&lt;strong&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff6600;&quot;&gt;http://www2.u-netsurf.ne.jp/~otokin/index.html&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;&lt;/a&gt; &lt;/p&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;</content:encoded>


<dc:subject>文化・芸術</dc:subject>

<dc:creator>梅崎幸吉</dc:creator>
<dc:date>2006-10-11T00:45:52+09:00</dc:date>
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