2009年9月 7日 (月)

二つの展覧会の告知です

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私が出品している二つの展覧会の告知です。
会期が重なっております。

「作家の視展2009」

上野の森美術館

2009年9月8日(火)~9月13日(日)
10:00am~17:00pm

〒110-0007 東京都台東区上野公園1-2
tel: 03-3833-4191

上野の森美術館サイト
http://www.ueno-mori.org/special/2009_perspective/index.html

「ケルビーム展」
2009年9月7日(月)~12日(土)

11:00am~19:00pm(最終日17:00まで)

ギャラリーFUURO (ふうろ)
〒171-0031
東京都豊島区目白3-13-5イトーピア目白カレン1F   
Tel&Fax  03-3950-0775

ギャラリーふうろHP
http://www.gallery-fuuro.com/html/info.html

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2009年4月 7日 (火)

上野の森美術館大賞展

「007-.jpg」をダウンロード

毎年出品している「上野の森美術館大賞展」開催のお知らせです。



上野の森美術館サイト

http://www.ueno-mori.org/top.html


2009年4月28日(火)~5月11日(月)

今回は前期4月28日~5月4日の展示です

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2008年9月25日 (木)

表現雑感

「表現雑感」

 我々人間存在の生存の根拠を問うということとあらゆる表現活動は密接に連動相関関係がある。だが、この根拠の問い自体が今日に於いては唯物観的観点から捉えられて浅薄な世界観と化し、猛威をふるっている。

 相対的思考によって導き出された生存の問いの結論、「無意味こそが意味」であるという五感覚的知覚・物質界の法則のみが真理であるとする思考形式に対する妄信。

 所謂物神信仰は今日我々の魂に伝染病の如く蔓延していて、そのことに無自覚どころか本来人間にのみ普遍的恩寵として具わっているという「思考」を我々の個々人の特産物であるかのように思い込み、さらには物質と同質とみなし、その思考による考察こそが唯一の考える中心であり基盤であるとして居座っているのだ。これは由々しき問題であるにも関わらず依然として「思考そのもの」を軽んじている。我々の認識行為は思考を用いなければ如何なる行為も為し得ない。こんな単純な事すら未だ認知され得ないということは驚嘆すべき事実なのであるが、これも又相対的思考によって実体なき思考内容に相対化され得る。

 われわれの表現活動とて思考を用いなければ如何なる表現も為し得ない。

 我々の行為自体は意志による。意志なき行為などあり得ぬ。また意志には動機が不可分である。動機なき意志など行為へとはなり得ない。此処で問題となるのはその行為の動機となった根拠、動機の根拠内容が問われる。

 つまり根拠の根拠となった要因、この考察である。ここで殆どの個人の思考は混乱する。根拠の根拠を問うことは通常の無意識的な意識状態の考察でもあるからだ。

 我々は簡単に理解しがたい事柄や難しい問題にぶつかると本能という便利な概念を用いる。ここで動物や生物と同じ次元へと考察の対象が移行する。物質的、数量化し得ぬものは考察の対象にはなり得ない、というのが理由なのである。不可視なるものは個々人の主観にすぎぬというわけだ。

 此処の地点は相対的イタチごっこの様相を呈する。考察する個人が知覚・体験感受した者に準じて主観的であると。万人に証明出来ぬものは如何なるものも主観に属すると。我々は何人も生成死滅の原理から逃れ出ることは出来ぬ、というのが根拠であると。これが実体無き浅薄な無常観なのである。これ以上の考察は我々の能力を超えている、と。これと似たような考察反論は満ち溢れている。ゆえに表現が新たなる地平で生じざるを得ぬ。ただ此処の地点を自覚した存在は個人として厳しい人生を歩むことになる。これも自明のことである。

 この通常とは異なる意識状態を表現する事は新たに困難を生み出すことにもなる。文学的に謂えば異形者として生きなければならぬ。生き抜くには如何にこの意識状態を日常的に溶かし込むか、日常化するかの一点に存する。

 

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2006年10月11日 (水)

『鬼神ライブ』音や金時

『鬼神ライブ』音や金時

『鬼神ライブ』 

夜闇に炸裂する魂の詩文・肉声と楽音精神の即興ライブ

 
朗読   梅崎幸吉  
ドラムス 石塚俊明 
フルート・ソプラノサックス 狩俣道夫

 

2006年10月22日(日)
  
場所  音や金時
時間  19:30start  18:30open
チャージ  2100円+飲食代

音や金時  TEL 03-5382-2020
杉並区西荻北2-2-14 喜志コーポB1

音や金時HPアドレス
http://www2.u-netsurf.ne.jp/~otokin/index.html

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2006年1月17日 (火)

今年最初の『鬼神ライブ』

今年最初の『鬼神ライブ』です。

お時間があり、気が向かれたら是非ご来場下さい。
石塚俊明氏のドラムは絶品です。
ゲストには岩城秀樹世君、磯安代さんです。

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闇夜に炸裂する魂の詩文・肉声と楽音精神の即興ライブ

 朗読   梅崎幸吉 
 ドラムス 石塚俊明  
 オーボエ 中溝俊哉
 
 ゲスト出演 朗読  岩城秀貴世
                磯  安代

2006年1月20日(金)

ライブハウス 渋谷アピア 
開演     22時より
チケット   2000円 (+ドリンク代)

アピア http://apia-net.com/

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2005年9月19日 (月)

朗読ライブ

ライブハウスで朗読ライブを始めて5年が経とうとしている。

最初は私とドラムだけが今はオーボエ・ピアノ奏者もメンバーになった。

10月23日は西荻窪の『音や金時』にてアルチュウル・ランボオの『地獄の季節』を

6年ぶりにやる。

自分でもどのように変化しているのか他人事のように楽しみである。

朗読:梅崎幸吉

ドラム:石塚俊明

オーボエ:中溝俊哉

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2005年7月29日 (金)

灰野敬二氏・山口小夜子氏対談

寡黙な灰野敬二氏が山口小夜子氏のインタビューに答える形式で自己を語っている。

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下記サイトにて灰野敬二氏と山口小夜子氏の対談記事が掲載されております。興味のある方はご覧下さい。

http://www.mokohan.com/haino.html

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灰野敬二、芥正彦イヴェント

もう今夜になった。

灰野さんとはたまに会っているが、芥さんとも久しぶりである。

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『オルタナティヴ≠否』
7/29(金)18:00open/18:30start/前売り\2300(ローソン・チケット L-CODE:37114)
at club24yokohama(045-252-4120)

●芥正彦 with ブラック・オペラ
●灰野敬二
●jojo広重
●ASTRO with 伽藍
●VAVAKITORA

芥正彦氏は、60年代後半に寺山修司氏と雑誌『地下演劇』を発行していた、アンダーグラウンド演劇界のカリスマ俳優。最近では、映画『コンセント』で精神科の教授役を演じて話題になった。今回は、ガルシーア・ロルカの詩と、アントナン・アルトーの遺作『神の審判にケリをつける為に』を朗唱する。
灰野さんとjojoさんについては、説明の必要は無いですね
ASTROは、元C.C.C.C.の長谷川氏によるユニットで、今回はサイケ・デュオ伽藍とジョイント
VAVAKITORAは、オーバーハング・パーティーのSACHIKOさん率いるボーカル・デュオです

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2005年7月16日 (土)

詩とドラム・オーボエ即興ライブ

個展を終えて直ぐに朗読のライブ。

ドラムとオーボエと詩・言葉の即興ライブである。

自作詩も含めてその時の状況によって読む詩を変える。

二つのライブハウス、「渋谷アピア」と「音や金時」で隔月に交互にやっている。

ドラムは元頭脳警察のドラマー・トシちゃん。同じ寅年。

年を経るごとに激しくなっている。

で、一昨日のライブで今は声が嗄れている。

筋肉痛は明日に出る。毎度の事であるが。

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2005年6月18日 (土)

創作雑感

7月4日からの個展が間近である。

毎度のことであるが、ぎりぎりまで作品は出来ない。

無論、地塗りは或る程度用意しておく。

で、様々なイメージを遊ばせておく。やがては機が熟すと自ずと形になる場合もあれば、不定形のままのものもある。

自分のイメージは確かにある。ただ、それは形になり得ぬものである。

素材に自分を委ねる場合もあれば、自分の描きたいイメージの方へと引き寄せる場合もある。

これはその時の心的状態と、用いる素材にもよる。

で、ぎりぎりまで待つ結果になる。

ただ、時は待ってはくれぬ。

謂わば、時との戦いでもあるのだが、時に委ねるとは諸刃の刃でもある。

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2005年6月13日 (月)

表現に関しての一考察

表現に関しての一考察。

>表現行為を限定し、個々人の世界観に留まる限りはこの現実からの『批判』には耐える事は出来ないであろう。
壊れるものは壊れる。壊れぬものは壊れぬ。

前回の日記に書き込んだ内容から。

われわれは何も芸術表現に限らず広義の意味では『表現』という行為を誰もが行っている。

この表現という行為の根拠を厳密に考察すると生存の根拠まで至る。
また此処まで至らぬものは真の芸術などとは云わない。
自称芸術家と称する表現者によって歪曲された得手勝手な解釈によって『芸術』という概念自体が浅薄になった。

私見を敢えて云わせて貰えれば、今日の芸術・アートという物言いに対しては不快というも頗る不快なほどである。

私は今日の意味では芸術家ではない。
単なる一表現者であり、単なる何処でも居る一個人にすぎぬ。
更に云えば、まだ人間一個人としても未完成極まりない。
やっとスタート地点に着いたばかりである。

現代美術などという命名にも興味は無い。
ただそれぞれ各時代の表現があるにすぎぬ。

それと表現の限界云々に関しても当人が当人の限界を語っているにすぎない。

それぞれの意識の諸段階は確かにある。その諸段階における諸見解も在る。ただそれだけだ。

他者との能力、比較等々に於いて優劣を競うほど暗愚な事は無い。さらには自分自身の一見解に於いての世界解釈を土台とした頑迷な表現者達、それに準ずる存在達。
その混乱混迷の度合いに準じて論理武装も強固である。

確かに表現者の矜持・プライドは強い。さらには自らを非凡と称する人物ならば境界などあろうはずも無い。
もしあるとすればそれは錯覚である。当人がそれを認めたくない、というにすぎぬ。
一切の看板を降ろすであろう。その自覚も無いものだけが喧しい。

全てを素材と見做してこそ真の表現者足り得る。
此処まで来れば自ずと生存の意味、意義も見出すであろう。
それが見出せぬとすればまだ偏見に満ちた一個人、一個性にすぐぬ。この自覚が自らに見出せぬものは自分の未熟さを環境状況のせいにする。

壊れてしまうものは高が知れている。壊しても壊しても壊れぬものだけが残るのである。
それが何であるか解らぬ内は、ただひたすら謙虚になるしかない。だが、これはどうしても認めたくない事実なのである。
個人を支える足場が消失するという恐怖がその根拠である。

自らが拠って立つ根拠、土台の消滅に耐えられぬ者はあらゆる仮定の足場を形成する。

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2005年6月10日 (金)

初めての書き込み

前から気になっていて、今日初めて作成。

まだどのよう用いるかも判らぬまま是を書いている。

私は画家でもあるが、それ以前に人間である、という自覚を持つ。

ゆえに絵画創作は通常の専門画家よりも少ない。

展覧会の締め切りが無ければ作品は殆んど創らぬということもありえる。

生ゴミ以外は、様々な素材を用いている。

最終的には所謂芸術なるものは無くなる事が望ましいと、想っている。

これは見果てぬ夢の如きものであるが。

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初めての書き込み

最初の書き込みが消えてしまった。

まだ使い方がよく判らない。

私は画家であるが、此の世から芸術が消滅する事を望んでいる。

あらゆる素材を用いているが、最終的には人間自身が素材でもある。

感覚的素材が精神的なものへと変容するプロセスの絶えざる道でもある。

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